夜空に輝く満点の星空のように、チェロのアンサンブルを通して煌きたい。
東北チェロアンサンブル「銀河」
東北の地に生まれた新しい音楽の楽しみ方です。

 

大曲の花火
                H.A

 
毎年8月の第四土曜日に開催される『全国花火競技大会』、通称大曲の花火。
全国の花火師たちが競うこの大会、出場することも難しいそうだ。
この花火大会を観に行くことが、すっかりわが家の恒例行事となった。

 
競技大会だけあって、日本全国から観覧に来るその人数は60万人を越え、
普段静かな大曲の町は、競技大会の数日前から賑やかになり始める。
そして大会前日まで花火ウィークと称して、毎日花火があがり、町の人々を楽しませ、
大会に向かって盛り上がっていく。
花火大会の観覧会場の幅は約2㎞。ものすごい広さである。
そして、人、人、人。
どこからこれだけの人が集まってくるのだろうと思ってしまうほどだ。


 
 
花火と言えば、夜空に咲く大輪の花と例えられるように夜であるが、
大曲は夜花火だけではなく、昼花火の競技が行われる。
明るい空に上げられる昼花火は、大曲でしか観ることができない。
そのため、技術を伝承していけるようにと、大曲では競技種目になっているのだそうだ。
夕方のまだ明るい空に映えるよう、夜花火の光の代わりに、
赤、青、黄、緑、紫、黒などの色煙で色鮮やかに空に模様を描き出す珍しい花火で、夜花火とはまた違った美しさがある。
夜花火は、10号玉芯入割物の部、10号玉自由玉の部、創造花火の部の三種目の競技である。
芯入り割物花火は、同心円状に真円が描かれているか、開花したあと一斉に消えるかが審査される。
創造花火は、決められた時間内に音楽に合わせて打ち上げられる。
あぁ、今年の流行りはこんな花火なのかと、流行りの傾向がわかるのも面白い。
観客からも高得点と思われる花火には、自然と拍手が起こる。
自分たちで採点をしながらの花火観覧も大曲ならではである。

そして、観客誰もが楽しみにしている、大会提供花火。
地元の花火師たちが協力してテーマを決め打ち上げる、9分間の創造花火。
打ち上げ幅も約1㎞とかなりの規模の花火だ。
これを観ずに大曲の花火は語れないと言われるほどである。
目の前で打ち上げられる迫力は、他の花火大会では味わえない醍醐味である。

そして、大会終了後には、雄物川を挟んで花火師と観客がトーチを掲げ、お互いに感謝の気持ちを込めてエールの交換ならぬトーチの交換が行なわれる。
素晴らしい花火をありがとう❗そしてまた来年会いましょう❗❗
大会が終わると、花火師たちは翌日からもう来年の大会の準備に入るという。
来年はどんな花火を見せてくれるのだろう…
そして、私も友人たちと帰途につく。また来年…


 

かさおかへの旅路
                Y.N

 
降ったり止んだりの雨。
念のためカバーをかけたチェロケースを背負い、キャリーバッグを引いて朝8時に仙台駅を出発した。

7月下旬、岡山県笠岡市で開催された『チェロ・アンサンブルinかさおか』に
銀河のメンバー9人で参加した。
東京駅からは東海道・山陽新幹線で福山駅まで。
福山城本丸の壮麗な白壁を見ながら山陽線に乗り換え、午後3時前にようやく笠岡駅に降り立った。

穏やかな瀬戸内海にたくさんの島々が浮かんで見え、
白っぽい水蒸気の多く含まれた真夏の空気が銀河のメンバーを歓迎してくれた。

駅にお出迎えくださった主宰の中村さんの車から夏祭り前の静かな街並みを眺めていると
10分ほどで会場の笠岡市民会館に到着した。

随分と遠いところまで来た、、という気持ちを抱えたまま、早速用意された部屋で音合わせを始める。
隣の部屋でも課題曲の同じフレーズの仕上げをしているのが聴こえてくる。
ところがそれがまるで違う曲のような趣きで奏でられビックリ。
他の部屋からもそれぞれ艶やかに揃った音色が漏れてきて否が応にも非日常的な緊張感が高まる。

前夜祭ではたっぷりの海の幸を中心としたお食事をいただき、エネルギッシュな他の参加チームと話しては刺激を受けた。
同じ楽器を愛する者同士の語らいは至福の時間である。
木越先生がご挨拶され「世界に目を向けると戦争をしている国や自由な行動をとれない国も多い中で、
こうしてチェロを携えて集まり音楽を奏でられることはとても恵まれたことと思う」
と仰ったことが心に響いてきた。

翌日は朝からコンテストが始まり、銀河は4番目に出演。

アナウンスで紹介され、ライトの注がれる立派な舞台に進み出る。
右手にチェロと弓。左手に楽譜と譜面カバー。いつもと違う譜面台。
一旦楽器を床に置いてから楽譜を整える。しっかり見える近さに譜面台を引き寄せる。
黒い服の中を汗が流れる。
コンマスが大きく息を吸うのに合わせて弓を引く。
少し現実感のない浮遊したような気持ちになり、予想以上に右手が震えて弓が浅く飛ぶ。
弦を押さえる左指は要らないヴィブラートがかかってしまう。
それでも少し落ち着くと他の銀河のメンバーからは温かないい音がしてきていた。
課題曲の「風の名前をおしえて」の中盤、動きのあるメロディーでは
低弦パートの内から沸き起こるような、ぎっしりと思いの詰まった美しい音の波が押し寄せ、
みんなをその波に乗せてくれた。仲間の音に自分を委ねるような何とも不思議な感覚に包まれた。
みんなで静かに息を吐くようにして曲の最後の音に集中した。

アンサンブル結成2年目、基本的な音程から表現力にいたるまで課題は盛りだくさんだけど、
かさおかを目指し、この舞台に立った意味は小さくなかったように思う。

今年は大分チェロ軍団が優勝され、
連続参加10回目にしての悲願達成に感涙にむせぶ参加者の姿があった。
そこに至るまでの練習の日々を思い、熱い気持ちを共有した真夏の一泊二日。

帰りには岡山名産の白桃をお土産にしたかったけれど、
電車の時間に余裕もなく後ろ髪を引かれながら慌ただしく笠岡を後にした。
仙台への帰途は前日よりも心なしか近く感じた。


 

「ぼく、チェロ弾いてみたいな 」  
               E.T 母

     
「ぼく、チェロ弾いてみたいな」
youtubeでヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードを観ている時に、
小学校2年生になったばかりの息子が言いました。

チェロって難しそうな楽器だな。
やっぱり親がチェロを弾いたことがないと、子どもに習わせるのは難しいかな。

いままで「楽器を弾いてみたい」なんて言ったことがないから、できることなら習わせたいな。
そういえば、通学路に弦楽器屋さんがあって、音楽教室をしていたような。

早速、翌日、弦楽器屋さんに伺い、相談してみました。
私は弦楽器を弾いたことがないのですが、
息子が「チェロを習いたい」と言っているのですが、お願いできますか?
弦楽器屋さんのスタッフの方が、笑顔で「大丈夫ですよ」と言ってくださり、ほっとしました。

レッスンに通い始めることになり、
楽譜を開いたらびっくり! チェロってヘ音記号なのですね。

キラキラ星変奏曲から練習を始めました。

チェロを始めて7ヵ月後の発表会でキラキラ星変奏曲を演奏

何度かレッスンに通い始めたある日、先生と二重奏をしました。
息子はチェロ2台が奏でる豊かな迫力のある大きな音にびっくり!
嬉しくて近くに座っていた私に、ニコニコしながら弾いていました。

小学6年生のある日、レッスン室で偶然同門のTさんにお会いしました。
Tさんから1000人のチェロのご案内をいただきました。
息子も分奏に参加させてもらうことになりました。
初めての本格的な合奏、かなり悪戦苦闘していました。
けれども、「合奏って楽しい!」と、言っていました。

1000人のチェロ・コンサート前日の公式リハーサル、音出しが始まり、
約1000人のチェロの音が1つになった時、私はその音の素晴らしさに鳥肌が立ちました。

本番当日、会場は満席で、どの曲も素晴らしい演奏で夢のような時間でした。
観客席では多くの方が涙を流していました。
震災後、みなさんいろいろな思いがあると思います。
人の声に1番近い音を出すと言われている楽器チェロは、
みなさんの心に優しく寄り添えたのではないかと思います。
演奏が終わった後、息子に会ったら「やりきった‼︎」という嬉しそうな表情をしていました。

「銀河」発足時にお誘いしていただき、息子に話してみましたら即答で「入りたい‼︎」と、言いました。

「銀河」の皆様、息子をチェロアンサンブルのお仲間に混ぜてくださり、ありがとうございます。
ご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、これからもよろしくお願いいたします。


 

「3.11に寄せて」   I.I

     
車を運転していると、美しい景色に思わず車を停めて見入る時がある。
夏の終わり、田圃が黄金色に変わる前、青々とした稲が海原のように揺れているとき。
秋の雨上がり、銀杏並木から黄色い葉っぱがきらきらと降ってくるとき。
雪の晴れ間、白銀の舟形や面白山の峰々が眩しく輝いているとき。
そんな時、閉じられた窓から静かに音楽も聞こえてくる。
 
あの夜、壊れた物をどうにか集め終わり、
何度も何度も襲ってくる揺れにがたがた震える猫を抱きしめながら、
激しく降る雪を呆然と見ていた。
真っ暗な闇の中、小さなローソクの火は私たちのように頼りなく、
ラジオから聞こえてくる想像を絶する知らせを聞いていた。
 
ふと目を凝らすと、雪が止んでいた。
そして、なんという星、星、星。降るような満天の星。
生まれて初めて見た別世界のような星。
 
一瞬、地震も忘れ、あまりの美しさに呆然と空を見上げていた。
我に返った瞬間、ラジオから聞こえてくる凄惨な知らせは真実なのだと悟った。
人々が今まさに星になっているのだと。
今までで一番美しい風景を見ているのに、何の音も聞こえなかった。
 
忘れられないそれからの日々。
やっと映ったテレビには、気仙沼市街の火の海から
ヘリコプターにつり上げあられている同級生の姿があった。
沿岸部の人々の壮絶な日々の始まりだった。
 
2015年5月24日、人は自然の前にあまりにも無力な存在だけど、
少しでも傷ついた心に寄り添えるように、そしてあの日を忘れないために、
私たちはチェロを携え仙台に集まった。
その中には、大事な家族を亡くした人、家もチェロも何もかもなくした人もいた。
チェロを始めたばかりの私も、心だけは負けないように、一生懸命演奏した。
津波に襲われた自宅にいたはずの夫を案じる義妹をボートに乗せ、
首まで水に浸かり歯を鳴らしながら押してくれたという自衛隊員。
愛犬と流されている友人を飛び込んで助けてくれた人。
報道されないたくさんの真心を、そして失われたたくさんの尊い命を想い、弓を弾いた。
 
一人では出せない音がある。
二人三人と増えることにより生まれるアンサンブルは、私たちの心の声。
誰かに届いて。私たちの音。
いつかもっと上手になって、誰かの琴線に触れるような演奏が出来たらいいな。
「悲しみにも終わりがある」のなら、それまでずっと寄り添っていこう。チェロを携えて。


 

「私の新曲習得法」   

          宮崎 純夫
     
アルビノーニ:アダージョ。
楽譜を手に取る。Nさん推薦の期待の新曲だ。
16分・32分音符の連続、付点8分休符、付点に付点が付いた音符まである。
難しそうな曲だ。
 

拡大コピーする。視力の衰えた目にも音符が鮮明に立ち上がって来る。

まずは、いつものように5線の中央線を赤のフェルトペンで塗り始める。
音符の位置を判り易くするためだ。
あっ。ペンを止める。ここからト音記号に変わっている。
見ると、後にはハ音記号も記されている。
ヘ音記号・ハ音記号・ト音記号が混在しているのだ。
中央線を色分けして分かるようにしておく。
ヘ音記号は赤線、ハ音記号は緑色、ト音記号は塗らないことにする。
 
次は♯・♭の色付けだ。
♯は明るい感じがするのでピンク色、♭は暗い感じなので紫色で音符を囲む。
これで♯・♭・♮ に迷うことはない。
スラーも見落とさないように、これには橙色を付ける。
いささかカラフルになり過ぎるが、一目瞭然、
読める譜面とするためには、色彩情報も駆使しての翻訳作業、
「私の譜面化」が欠かせないのだ。
 
音が判読できるようになったので、フィンガリング付けに取りかかる。
指で弦をはじきながら、A線の開放弦を避け、
音色が一定するように感じるので極力同じ弦で、などを基本に、4ポジも駆使して指番号を付ける。
イレギュラーな押え方をする音符には○番号を、4ポジで音を取る場合には□番号などと、
私なりのルールで記号化された指番号を書き込む。
あれこれ指遣いを替え、弾く弦を替え、さまざま試行錯誤を重ねた末、
これが最適と一応の納得が得られたところで、フィンガリングの決定とする。
 
次にボウイング。
最後の音はDOWN、休止符のあとの弱拍はUPからなど、
練習会で聞き覚えたことをもとに、変則箇所にマークを付ける。
いずれ練習会の指導でかなりの部分が修正されることにはなるのだが・・・・。
これで何度か弾いてみて、このフィンガリングとボウイングで問題ないことを確かめると、
この日はここまで。
 
後日、ほどほど弾き覚えたところで、
今度はメトロノームを使って正確な音の長さで弾き、曲の理解をしてみる。
YouTubeで聴けば手っ取り早く分かるのだが、譜面で曲が分かるようになりたいと思うので、
まずは、独自に曲の理解を試みて見る。
 
一通り弾けるようになったところで、最終段階に入る。
一人アンサンブル。
YouTubeからICレコーダーに取り込んだ音源を鳴らしての一人合奏練習。
その合間に、高音域Partのメロディーを音符に代わる記号で楽譜に書き入れる。
例えば、PartⅡの特徴的な三連符の音は上昇する○3つで書き入れ、
ジャジャーン!のところは稲妻のような記号で書き入れる。
こうしてPartⅢの私の楽譜を「スコア」にしてしまうのだ。
練習会のアンサンブルでは、高音域Partのメロディーを耳で聴きながら、
この「スコア」を目で追うことで、他のPartと合わせて音を出すタイミングを見計る。
 
「スコア的楽譜」の完成をもって新曲習得のための準備がようやく完了し、
ここから本来の演奏練習が開始される。
メトロノームを使って繰り返し弾くことで、頭で覚えた指遣いやボウイングを体に覚え込ませる。
ICレコーダーに録音したボストン・チェロ・カルテットと一人アンサンブルを重ねる。
 
練習会では「音楽的に演奏すること」を学ぶ。
フォルテで始まる出だし6小節の付点二分音符は、一律の音量でなく、音の頭を出して後半は抜く。
二分音符から16・32分音符の連なりに入るところは、音を繋げずに、小さなスキマを空けて入る。・・・・ 連なりの頭の音をくっきりと出すためだ。
カデンツァのスラー2音は、平坦に弾かず、スラーの頭の音を出す。
・・・・・・・ など、アダージョ各部においての演奏のし方を学ぶ。
楽曲各部における演奏のし方を学ぶこと、
それはとりもなおさずアダージョという楽曲をどのように理解し演奏するかを学ぶことなのだと思う。
 
見開きA2版の、一回り大きな「スコア的楽譜」を携え、今日もいそいそと練習会に向かう私である。


 

「白鳥」   Y.N

     
チェロの名曲というと、たくさんあるけれど、まず思い出す曲に「白鳥」がある。
サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」の第13曲目に入っている。
この組曲は言うまでもなく名曲揃い。どの小品も個性的で情景が思い浮かぶ。
この「白鳥」はその中で唯一サン=サーンスが生前に出版を許したもので、
以来舞台芸術とともに親しまれてきた。
ピアノで伴奏することが多いが、2台4手の伴奏になると1台2手伴奏のベースとなるアルペジオの流れの上に
さらに水音や小さな羽搏きのような装飾音が入れられ、
絵画を眺めるような描写を得てより立体的な響きになる。
 
チェロを弾く身となった以上、やはり「白鳥」を弾きたい。それも優雅に弾きたい。
スローモーションでフワッと羽ばたく姿が思い浮かべられるように。
 
いろんなチェリストの「白鳥」を聴きに行ってきた。
ひたすら儚い白鳥。気高い白鳥。優しい白鳥。力強い白鳥。
哀しみをまとう白鳥。瀕死の白鳥。
浮かび上がる白鳥の表情に引き込まれた。
 
何とか音を追ってみる。
様々なボウイングを試してみる。
しかしどうにも力んで妙なコブシが入ってしまう。ヴィブラートもまちまち。
よろけた白鳥。優雅とは程遠い。
羽根の汚れたガチョウのようだなと自分でも思う。
 

伊豆沼の白鳥たち

近道などもちろんないのだが、少しでもヒントが欲しくて、先日、県北の伊豆沼に出掛けた。

ここは白鳥の飛来地として有名だ。水面が凍らずに越冬できる北限にあるため、
この辺りの湿原には日本に飛来する渡り鳥の7割が寄るという。
 
近くで見る白鳥はかなり大きい。オオハクチョウだ。
時おり筋肉の発達したその翼を広げると2mほどある。すごい迫力だ。
「コォーッコォーッ」と大声で鳴いている。
 
飛び立つ時は重い体重に揚力をつけるため、
水掻きの発達した足で水面を蹴りながら30mくらい助走する。
あら。
何だかあんまり優雅じゃない。
エサを取る時は近くのカモたちに先を越されている。
白鳥は表情を変えないが、どうやら水中では必死に足を掻いているらしい。
 
それほど人が居なかったから「白鳥」のフシを伴奏部分から口ずさんでみた。
ん、、少なくとも目の前にたくさん群れている白鳥の姿とは重ならない。
 
北国の春は、日一日と歩幅を広げるように日が伸びる。

横から射していた陽の光が少しずつ上がっていく。
路端の草木が明るい彩りになっていく。
 
いつか優雅に聴こえる「白鳥」が弾けるように。白鳥の様々な姿を写しとれるように。
足をバタバタさせ続ける。必死に水面を蹴る。
 
伊豆沼に出掛けた数日後、マガンがシベリアに帰り始めたとニュースでやっていた。
後を追って白鳥も向かうのだろう。そしてまた来冬に2つの故郷を往き来するのだろう。


 

「チェロに恋して60年」  

     髙坂 知節 


私がチェロという楽器を手にして弾き始めたのは、
1956年春に東北大学医学進学課程へ入学したときでした。
高校時代は、剣道と受験勉強に明け暮れて音楽を楽しむ時間が、ほとんどなかったのですが、
父が耳鼻科の診療をしながらクラシック音楽に熱を入れている様子を見て、
東北大学に入ったらオーケストラでシンフォニーを演奏できるようになりたいと
熱烈に思うようになっていたのです。   
 
入学早々に片平丁キャンパスにあったオケの部室を訪ねますと、すぐに日本製のチェロを貸し与えてくれました。
これはラッキーと、NHK仙台放送局管弦楽団のチェリスト、服部正三先生に手ほどきを受けてオーケストラの練習に励み、
その秋の定期ではオーケストラの一員として、なんとか舞台に立つことができました。
 
その後は、パブロ・カザルスの弟子、佐藤良雄先生にレッスンをしていただくために、
夜行に乗って東京まで通いながら、学業そっちのけで熱心に練習しました。  
その甲斐あって、入団3年目には、東北大学交響楽団首席チェリストを務めることができて、
山本直純さんの指揮で「木挽き歌」のソロを弾くという幸運に恵まれました。
 
大学を卒業して耳鼻咽喉科の臨床医を目指すようになり、自然に音楽からも遠ざかる日々でしたが、
10年ほどが経過したある日、学生時代からカルテットを一緒にやっていた同期の仲間から
「このままでは専門馬鹿になってしまうぞ!」と半分脅迫めいた誘いがあって、再びカルテットでチェロを弾き始めました。
 
このとき以来、レッスンを受けたプロのチェリストは、仙台フィルの高橋咲子先生、
紀尾井シンフォニエッタの首席チェリストの丸山泰雄先生、
そして現在は仙台フィル首席ソロチェリストの三宅 進先生です。
 
チェロを始めて60年も経っているのに、未だに日々新たな発見があり、
私はチェロにぞっこん惚れ込んでいます。
 
結びに、「チェリストである前に人間であれ」、そして「人間に必要なのは愛だ、愛と平和だ」と
凡人を諭した、私が最も尊敬するチェリスト、パブロ・カザルスに敬意を表して、
晩年になってもチェロを弾き続けている彼の写真を添えたいと思います。


 

「チェロと私」  

     高橋 広
 

最初のチェロ

就職して間もなくの頃にチェロを買った。
たしか初任給の3ヵ月分ほどの値段だったように思う。元中学の教師だった先生に1年ほど習った。
練習日には職場にチェロを担いで行き、仕事の帰りにレッスンを受けた。
いい時代だった。
しかし、その後は公私ともに忙しくなり、転勤とともに私のチェロは長い間、押し入れに仕舞われることになった。
 
私がクラシック音楽と出会ったのは学生の頃だった。
友人に誘われてクラシック音楽同好会に参加した。
部室でレコードを聴き、仲間と語り合った。
学園祭で日本フィルのカルテットを招き演奏会を開いたこともあった。
生演奏はあまり聴くことはできなかった。
数少ない演奏会の中で1973年11月30日にチェコの巨匠スメターチェックが
日本フィルを振った「新世界」を聴くことができたのは、私にとって大きな財産となっている。
歴史に残る名演奏と呼ばれた大変感動的な演奏だった。
カザルスのチェロにも惹かれた。
 
仕事、結婚、育児等の多忙な時期が経過し、再びチェロを手にしたのは職場を退職する頃だった。
その5年ほど前にチェロ教師である友人に私のチェロを見てもらったところ
十分に使えるとのことで生徒さんに使ってもらっていた。
友人に弾いてもらうといい音が出ていた。
友人の転居と私の退職が重なり、チェロが私のもとに帰ってきたのは東日本大震災後のことだった。
 
35年ぶりに再開したレッスンは初歩からのやり直しだった。
以前習ったことはほとんど忘れていた。練習はなかなか先に進まない。
35年前に1年で進んだパートが3年以上かかった。
最近、ようやく以前の書き込みメモがない練習曲に進んできた。
少しずつではあるが音が出せるようになってきた。
ちなみに、当時使っていたウェルナーチェロ教則本、SUZUKI METHOD 佐藤良雄チェロ指導曲集を今も使ってレッスンを受けている。
ウェルナーチェロ教則本には1973年発行、定価は1,000円と書かれている。
 

現在のチェロ

こんな私のチェロに転機が訪れたのは2015年に開催された第5回1000人チェロコンサートだった。

チェロを再開し、3年目の年で未だ初心者であったが、
仲間に誘われ思い切って参加申し込みをした。
これまでにない課題と練習量の多さに戸惑いながらも東日本大震災の鎮魂と復興支援に
私も参加できることに喜びを感じながら仲間とともに練習に励んだ。
そしてコンサート当日の感動。
全国・全世界から参加した1000人近いチェリストと深い感動を共有することができた。
聴きに来てくれた友人・知人からも共感の言葉が寄せられた。
音楽の力、チェロの力を強く感じた。
 
あの感動が忘れられず、今は東北チェロアンサンブル銀河に参加し、
近い将来開催されるであろう第6回1000人チェロコンサートを念頭に練習に励んでいる。
年齢を重ねてからの練習であり腕前は遅々として上がらないが、
音を出せる喜びを感じながら楽しく練習している。
 
コンサートの後、少し欲が出て新しいチェロを求めた。
少しはいい音が出せるようになった気がする。
新しいチェロを購入したが古いチェロには愛着がある。
1974年製で私の職業生活と共に歩んできたチェロ。
簡単には手放せない。
今は、誰が弾くことになるのか分からないが、再び押し入れの中で、次の出番を待っている。


 

「銀杏とチェロ」   Y.N

 
銀杏が散っていく。
 
少し前まで大通りを三列になって、空まで届くかのようにあたり一面を照らしていた。
 
仙台の銀杏は黄金色をしている。
それまで東京で銀杏並木と言えば大学構内などにあり、少しくすんだ黄色の葉をつけ、細長くそびえているものだった。
ここでは街中のあちこちで神々しく光輝いている。木の形もどっしりとした釣鐘形が多い。
それは昔タイの寺院で見た巨大な仏頭を思わせる。
 
時折強い風に煽られて、銀杏吹雪が起きる。
そして歩道には銀杏の絨毯が敷き詰められる。天地ともに黄金色になる。
足元は落ちたギンナンが割れるから滑りやすい。チェロを背負っている時は、特に下を向いて気をつけて歩く。
 
先月中旬の東京からの帰り、駅でタクシーに乗った時、ふと見たロータリーの道の傍にも銀杏の落ち葉が溜まっていた。
ちょっと留守した間に随分と銀杏の時間が経っていた。
運転手さんに「だいぶ落ち葉になってきましたね」と話しかけると
「そうだね~、これから黄色くなるのもあるけどね。日の当たる場所の木が早いのかと思うとそうとも限らなくて、
隣り合う木で全然違うのもある。不思議だよね。銀杏にも個性があるんだよね」と言われた。
頬にあたる気持ちよい冷たい夜風と運転手さんのその言葉に、「仙台に帰ってきた~」と思った。
 
転勤で盛岡に住んでいる友人は岩手山の見えるその街の中で、ずっとチェロを弾いていたいと言う。
冷たく乾いた広い空に音が吸い込まれていく。音が終わる遠いところまで耳を澄ます。
 
人間は住んでいる土地土地で敏感になる音が違うという。

様々な楽器にしても、民族音楽にしても、その地方ならではの気候や風土や地形や地質や、
そのようなものが絡んで、そこに生きている人が生み出してきた。
リズムも、表現も、その土地ならではのものがある。
それは切り離せるものではないのだろう。
 
銀杏の木が薄くなってきた。
もうすぐ空は鈍色になり西の方、蔵王のあたりから雪混じりの寒風がおりてくるだろう。
 
ここにしか生まれない音がある。
ここでしか聴かれない音がある。
ここでチェロを弾きたい。


 

「せんくら」   Y.N

 
先週末、「せんくら」が開催された。
 
仙台市内各所でクラシック音楽に触れる機会を気軽に持てる催しで、
正式名称は『仙台クラシックフェスティバル』。
今年で11回目になる。
ハシゴして6ヵ所で聴いた。
 
初日の午前中はヴァイオリンとハープのコンサート。優しく繊細な音色に酔った。 
たっぷりの演奏を楽しんでのアンコール、「皆さんも歌ってください」と言われた。
長い妙なる前奏のあと「花は咲く」のメロディーが流れてきた。
歌おうと思った。
何度も何度も聴いて歌ってきた曲。
 
ところが胸が詰まって、口がぼんやり開くのに動かない。
顔の内部に涙がどんどん溜まっていく。
会場の歌声もぼんやりしている。
ふと横の女性を見るとその頬にも涙がつたっている。
 
演奏家の思いが音色に映り、心の襞に手を当ててきた。 
弾き手と、聴き手とが、その一瞬を共有していた。
そこにいる背景や歴史は様々だけれど、どんなものも超えてしまう力を人の紡ぐ音はもっている。
 
仙台の地下鉄に乗ってコンサートをハシゴする。
何しろ3日間で街のあちこちで100ほどのコンサートがある。
 
旭ヶ丘に早く着くと駅ナカではソプラノ歌手がオペラの有名な節を歌っている。
改札前のロビーに美声が響き渡る。何重にも人垣ができていた。
 
隣接する台原森林公園を少し散歩してみることにした。
 
ここはなんて素敵な街なんだろう。 
深呼吸する。
 
長雨の季節が過ぎ、空気は一晩で変わった。
冴え渡る秋の空に、旭ヶ丘の駅舎のアーチのデザインが美しく映えている。
 
お次はパッション溢れるヴァイオリンとピアノのコンサート。
とても贅沢だ。
この方の演奏をずっと聴いてみたいと思っていた。
こんな真近で聴かれるなんて。
そして満員の聴衆は咳をすることもなく、ガサゴソ音も立てず、息を飲んで聴き入っている。
 
いつも思うけど、これほどまで静かに聴き入るのもこの街の特長かも知れない。 
一回一回のコンサートが大切に思われている。
 
帰り道、音の余韻に浸りながら、少し高揚して一緒に行った友人と喋り、軽く食べる。
コンサートのほろ酔い気分が醒めないところに住める、そんな街の距離感、雰囲気が最高だと思う。
 


 

「練習のみち」  Y.N

 

 この9月は雨が多い。
 
 その雨の空気の中に、金木犀の香りが混じるようになってきた。
 先週は仄かに香っていたのが日に日に強くなってきた。
 
 傘をさしてチェロのケースを背負って練習に行く。
 他にも楽譜や譜面台や書類、パンパンなバッグを持って。
 もう呼び止められたとしても振り向くのも大変なほどのいでたちである。
 何かを持ち上げるにしても、カバンから物を出すにしても、ひとつひとつ動きを止める。
 バスを降りる時、エレベーターに乗る時なんかも前後左右、時には高さも目で測りながら歩く。
 チェロ優先、スペース的に方向転換できない時は自分が回り込んだり、後ずさりしたりする。
  
 そしてケースに足があたるから、スッスッとも歩けない。
 
 去年だったか、練習の帰りに道の傍のちょっとした段差に躓いて頭から転び、
 路端の巨大なカブトムシ状態になったことがあった。
 どう立ち上がろうか、カブトムシのままでちょっと考えた。
 
 やれやれ。でもこんな生活にもだいぶ慣れてきた。
 人一倍、いや楽器一倍?、手のかかるチェロだけど、もうやめられない。
 
 いつか先生みたいな音色で弾けたらいいな~。
 一人でさらう。そして練習会でみんなとあわせて奏でる。 
 楽しい。またさらう。
 
 昨日できなくて苦労してそのまま終了したところが、
 今日になるとちょっと弾けるということが出てくる。 
 ふむ。 
 発表会まであと3週間あまり。
 幾つになっても緊張感のあるひと山。少しずつ歩く。